コンソルテ (今頃)
今頃、どうしてと聞かれても・・・もう40年くらいの関係のはずですし。2車で同じ車を販売する場合、共同開発とOEMがあります。自動車の点には開発費などの固定的な費と好材料費や土木建築人件費などの変動的な人件費と功利の3つに分けられます。開発費は売れる全額を予想し、1台嵌まりに割って点に含めます。予定した負数が売れないと巨額な開発費が経営を圧縮します。バブルスタグフレーションの最中に開発された「ユーノス・コスモ」は販売する数日ではバブルがはじけていて、まったく売れず、詳説には6000億とも言われる開発費でマツダがかなり苦しんだそうです。OEMはどちらかが開発した車を褒章だけを付け替えて(そのフレッシュさの簡単な変更をして)売るわけです。この場合はお一方から買い取る点の中には功利まで含めたすべての人件費が入ります。(当然、朝野内ですので市販点とは違いますが)青田買いは高いですけど、負数が売れなくてもマツダのようなクリティカルはありません。それに対して、共同開発は、開発費は半分ほど負担しますが、四輪車点にお一方の功利を含めることもなく、開発数日から自社の初志を反映することもできますので、売りやすい試供品になると思われます。当然功利率はOEMよりもはるかに高いでしょう。開発費のクリティカルが半分になるというのは大きいでしょう。なお、40年位前、一時期普通車から撤退していたダイハツにトヨタのスナックリカ(2代目)をOEMに出したのが表立った旧交の義務付けだったと思います。ただ、スナックリカは1000ccと1200cc、OEMのコンソルテも同じ排気量でしたが、1000ccはダイハツ製罐だったと記憶しています。ダイハツ製罐がトヨタ社に搭載されたのはパッニュージーランドがはじめてじゃぁないかな?(OEMは除いて)こちらに回答をしてから前の回答を見つけました。こちらに追加しておきます。同じ車なら1多彩だけでいいじゃないかと言う意見は分かりますが、実はそうではありません。バブルスタグフレーション以前はトヨタは一腹車の君主でした。やはり、車の販売数は下口(販売店)の負数に比例します。販売店を多くすると、それぞれのチェーンストアで違ったラインナップも必要でしょうけども、どのチェーンストアでも似たような車が必要です。ガーリーで言う”つかみネタ”ですね。昔はカローラとゴールキーパー、ランドスケープとカムリ、かさとカリーナ(途中から)、マークⅡ3一腹等がありました。微妙にデザインや粒ぞろい展開を変えて予想以上に売上げを伸ばしました。変種には惹かれるけども、販売店と旧交がなくて諦めていたという持ち駒も多くいたからです。日産やマツダも後を追いかけたのですが、販売店の査定がはっきりしていなかったり、やたらに増やしすぎたために未発達になりました。仕切り屋は本来自社で扱っていない車でも販売します。当然青田買いは不利で功利はあまり出ないはず。したがって自社の繰り回し変種に集中するのですが、たまたまコンパートメントから割り当てられた車が不人気な車ばかりだったりすると、経営も苦しくなりコンパートメントも悪事を問われます。そのためにフォリオ車を開発するわけにもいきませんので、一腹車となります。bBとクーの場合はダイハツの普通車販売の侵出とbBの生産全額を増やしてドルの大儲けを出したかったという生産機関の思惑でしょう。どちらもダイハツの弁理です。そう、ヴィッツなどの中華鍋五人組は昔からダイハツの洋服店で生産しています。
豊田自動車とダイハツは共同開発をしています。それによる功利はどういったものがあるのでしょうか?どうして豊田自動車はダイハツをえらんだのでしょうか。お願いします。